2021/12/11
3泊4日の校外学習もいよいよ最終日を迎えました。今治国際ホテルを出発し、この日最初に訪れたのは、別子銅山の歴史を学べるマイントピア別子です。来年度から、高校では新たな科目「歴史総合」が登場しますが、日本史と世界史と分けること無く、日本の歴史を世界の中で捉える見方が昨今の学校教育では主流になっています。16~17世紀に日本産の銀ついで銅が世界経済に果たした役割が強調され、「鎖国」という言い方が後退しています。そして、このグローバル交易の主役であった銀の大産地であった石見と、銅の大産地であった別子をともに今回見学することになります。
坑道では、採掘、運搬、湧き水の組み上げなど、江戸時代からはじまり昭和まで続いた採鉱の様子を人形や巨大模型を使って再現していました。坑道の後半は別子銅山で行われていた作業を体験できるコーナーもありました。2日目に島根で石見銀山を見学したばかりということもあり、江戸時代に元禄期頃までに急減してしまった銀に変わって、17世紀末以降銅が日本の対外貿易やこ国内経済に寄与していったことがよくつかめたのではないかと思います。高校入学後の「歴史総合」理解に、かなり役に立ちそうです。
マイントピア別子を後にし、車中で昼食を済ませて、松山市の正岡子規記念館を訪れました。子規は松山の生まれで、上京して東京で学ぶ中で夏目漱石とめぐりあい二人は無二の親友となりました。子規は若くして喀血し結核に悩まされながらも、俳句、短歌の革新に多大な貢献をしました。また、記念館の中には夏目漱石が松山で旧制中学校の英語教師として赴任していた頃に下宿していた「愚陀仏庵」が一部復元されています。日清戦争の取材で中国に渡り無理をした結果体調をくずし、帰路大喀血をした子規は、療養のため故郷松山に帰省し、この漱石の下宿で約2か月を過ごしました。二人は毎日のように句会を開いていたようです。相手が結核を患っていることを知りながら寝食をともにして俳句に熱狂したと聞くと、漱石の人物像も少し変わってくるような気がします。生徒たちは事前学習で学んだことを活かし、真剣にワークシートを解いていました。
最後は2グループに分かれ、いよてつ高島屋の屋上にある大観覧車「くるりん」の乗車と、子規堂を見学しました。観覧車に乗った生徒たちは想像以上の高さに驚きの声を上げていました。周辺にあまり高い建物がないため大変見晴らしがよく、窓から一望できる瀬戸内海の景色を眺めながら旅の思い出を振り返っていたことと思います。
いよてつ高島屋と今回最後の見学場所である子規堂は徒歩で3~4分の距離です。同じ敷地内には、「坊っちゃん」に登場する「マッチ箱のような」列車が保存されています。マスクを着けた漱石像と記念写真を撮りすべての見学を終え、途中「坊っちゃん」に登場するターナー島を車窓から見ながら、松山空港へ。ほぼ定刻通りに松山を飛び立ち、東京へと向かいました。
コロナ禍の中、4日間を通して目立った体調不良者も出ずに全日程を終えることができました。全国一斉休校から中学校生活が始まったこの2年生にとっては、入学して初めての本格的な行事でもありました。日本の特色ある地域をめぐったこの秋季校外学習は、見聞も大いに広がったよい旅になったと思います。